私が高専を卒業して就職、初めての配置先は故郷の県庁所在地を遠く離れた人口10万人の田舎の中心都市でした。
そこで借りたアパートのお隣さんが、淑子さんというおばさんでした。
当時私は20歳、当時54歳の淑子さんは母よりも7歳年上で、池波志乃さんに似た妖艶なおばさんでした。
淑子さんは10年前に離婚して、30歳になる息子さんは結婚して都会で暮らしているとの事でした。
淑子さんとはすぐに仲良くなり、週末は一緒に夕食を食べるようになり、お酒も飲むようになりました。
「マー君は、地元に彼女残してきたのかい?」
「彼女…いたことないんです。」
「え?マー君、まだチンチン使ったことないのかい?もったいないねえ。おばちゃん、やらせたげようか?」
そう言うと、淑子さんはパパッと裸になり、浴室に消えました。
淑子さんは、顔はややシワが目立ってきましたが体は全く緩んでおらず、若々しいくびれを保ち、胸も垂れずにプックリといい形をしていました。
大股開きで見せてくれた初めて見たオマンコは、灰色に変色したビラ肉に囲まれ、それを指で開くとピンクの肉穴がありました。
食い入るように見る私に、 「ここ、昔はおさねっていったんだがね、クリトリスを優しく舐めると、女は感じて濡らすんだよ。」
促されて舐めました。
吸い方が強すぎるなどと色々指導されているうち、ハッと気がつくと、
「アアッ…アアッ…」
と淑子さんが感じて声をあげ、肉穴から大量の汁を溢れさせていました。
淑子さんは、ムクッと起き上がると、私のチンポを握り締めて、
「まあ、ナマッ白いチンチンだね。もうこんなに硬くして。」
と言いつつパクッと咥えると、優しい快感がチンポを包みました。あまりの快感に、ビクビク脈打ってきました。
「さあ、そのまま入れて、中でお出し。おばちゃんはもう妊娠しないからね。」
淑子さんの生膣に生チンポを入れると、ムチュムチュと汁がチンポにまとわりつき、前後に動かすとかつて経験したことのない強烈な快感がチンポを支配し始め、あっという間に精液を搾り取られてしまいました。
「若いんだから、ホラ、もう一回頑張って。」 とチンポを握られて、再び起たせられると今度は10分くらい長持ちしましたが、
「アアン、アンアン、ア、ア、ア、ア………」 と淫乱丸出しで喘ぐ淑子さんの熟した女の色気に、再び搾り取られてしまいました。
セックスや女体の扱いにも慣れてくると、
「毎回中出しだと、舐める時に前回の残りが出てきて嫌だろう?中出しは週末だけにしようよ。」
と提案されました。
淑子さんの本音は、将来役に立つからとコンドームをつけたり、タイミングを計っての膣外射精を私に経験させようとしたのでした。
そんな私と淑子さんは快感を共有するだけでなく、いつしか唇を重ねるようになり、34歳の年の差を越えて愛し合うようになりました。
私は、射精を我慢して、淑子さんが好みの場所を効率よく刺激する腰使いなども覚えて、淑子さんを逝かせることが出来るようになりました。
淑子さんとの付き合いも3年を迎えようとする春先、職場にアルバイトの女の子がきました。
「一昨日高校を卒業したばっかりです。就職先が見つからなくて、とりあえずバイトさせていただきます。」 と、なんともバカ正直な挨拶をする、いかにも田舎町にいそうな純情乙女でした。
パッと見は可愛いような気がするけど、お下げ髪がイモっぽくて、惜しいなあ~と笑ってしまいました。
私の出身の県庁所在地も田舎ではありますが、若い女の子は、もっと着飾る努力をしていたと思いました。
全く洗練されていないその女の子は美代子と言い、これまた昭和のテイストがしました。
美代子と私は仕事場で最も年が近いので、先輩や上司が事あるごとにくっつけたがりました。
美代子は性格も控え目で優しい女の子ですが、同じ県内でも、もっと都会の故郷にいっぱいいた小奇麗な女の子をたくさん見てきたので、ここで嫁を調達するつもりはありませんでしたが、次第に親密な仲になり、ついに美代子は休日に私の部屋を訪ねてきてしまいました。
前夜、淑子さんと激しく愛し合い、そのまま淑子さんの部屋で寝ていた私は、淑子さんの部屋から来客が美代子であることを確認して、慌ててベランダから外に出て、ちょっと外出から帰った振りをしました。
高校を出たばかりの美代子を男の一人暮らしの部屋にあげるわけには行かず、困っていると、 「前に、今度ドライブに行こうって誘ってくれてたでしょ。今日なんか、いい天気だしどうかなって思って。」
社交辞令を真に受けた美代子に呆れるやら、可愛いやら、仕方がないので車に乗り込みドライブに出かけました。
そしてこの一件が、私と淑子さんの別れの始まりになりました。
美代子は一度ドライブに行っただけで、すっかりガールフレンドになったつもりで接してくるようになりました。
週末は一緒に過ごすようになり、淑子さんとの時間が少しずつ少なくなり、まるで淑子さんは性欲を処理するだけの女体のようになっていきました。
そして、美代子と知り合って半年の秋口、美代子に、 「ガールフレンドと彼女の違いって…やっぱりセックスですか?私は彼女にはなれませんか?」
田舎娘はダイエットなどに興味がないのか、一応くびれてはいるが、淑子さんのような色気はあまり感じられず、パッツパツの体にキューピーちゃんか!と突っ込みたくなりました。
でも、抱けば柔らかくて甘い少女の香りが漂い、淑子さんとは違って、この純情娘にエッチなことを教えて淫らにしたい欲望が芽生えました。
広げたオマンコには変色したビラ肉は一切なく、美しいピンク一色でした。淑子さんの教えに従い、クリトリスを優しく舌で撫でました。
身悶えするまで舐めて、チンポを美しい肉穴へめり込ませると、淑子さんのときとは違う抵抗感の後にニュルンと入り、 「イタタタァーーー」
あ、そうだ、処女膜…と気が付いたときには、もう根元まで入っていました。
痛みに耐える健気な美代子を見て、恋愛の嬉しさが沸いてきました。
まだ誰にも見せた事のない裸を見られて、まだ誰にも触れさせた事のないオマンコを舐められ、恥ずかしさをこらえて、初めて見る勃起チンポに貫かれて痛みに耐える美代子が愛しくなってきました。
美代子が処女をくれた後、私に対する態度が完全に変わりました。田舎の純情娘の処女をもらった事の次第の大きさは、計り知れないものがありました。
美代子と私が男と女の関係になったことは、見る人が見ればわかったでしょう。もちろん淑子さんも…
「あのさ、私、今度の3月いっぱいでここを離れることにしたよ。もう57歳だし、息子がね、二人目の子供が生まれるから、一緒に住もうってさ。孫守りする年になって、若い男に抱かれてる場合じゃないって気付いたよ。」
3月、淑子さんに最後の精液を子宮に注いで、 「淑子さん、4年間、お世話になりました。どうか、お元気で…」
「泣くんじゃないよ。もう…あんたもさ、早くご両親に孫の顔を見せて上げなよ。じゃあね。元気でね。」 と、息子さんの元へ去っていきました。
2年後、私は妻となった美代子を伴って、転勤でこの地を離れることになりました。
一人で大家さんに挨拶に行って、何となく、
「前にお隣にいた淑子さん、今頃は息子さんとお孫さんと、幸せに暮らしているんでしょうね。」
と言ったら、
「え?あの人は子供が出来なくて離婚されたんだから、子供なんかいないよ。どこか施設に入るって言って、出て行ったんだよ。天涯孤独って寂しいよね。」
「あんた…ダメじゃないしゃべっちゃ。口止めされてたんじゃなかったの?」
「あ、いけねえ…」
頭を殴られたようなショックでした。私と美代子の邪魔をしないように、そっと身を引いた淑子さん…
あれから14年が過ぎ、40歳になった私は、再び淑子さんとの思い出の地へ転勤してきました。
せっかくなので、美代子の実家のそばに家を借りて暮らしています。
孫達と楽しそうにしている義父母を見て、ご健在なら74歳になっている淑子さんが、きっと夢見た光景なんだろうなと思いました。
私の思い出の女性…淑子さんは、今何処に…