母が僕の寮にやって来た。
僕はある私立高校の寮に入って学校に通っているのです。
小さい頃から病弱だったから、母はそんな僕が不憫だったらしく、何でも言う事は大抵の事は聞いてくれてました。
その時も腹の具合が悪く、2日も授業を休んでいたので、寮長が家に電話したらしく、突然母が来たのです。
薬を飲んで随分良くなっていたので、「少し体力をつけよう」と言う母の言葉で、許可を貰って外に出ました。
国道沿いのファミレスで食事し、母の運転で少しドライブする事になったのです。
母が僕の寮にやって来た。
僕はある私立高校の寮に入って学校に通っているのです。
小さい頃から病弱だったから、母はそんな僕が不憫だったらしく、何でも言う事は大抵の事は聞いてくれてました。
その時も腹の具合が悪く、2日も授業を休んでいたので、寮長が家に電話したらしく、突然母が来たのです。
薬を飲んで随分良くなっていたので、「少し体力をつけよう」と言う母の言葉で、許可を貰って外に出ました。
国道沿いのファミレスで食事し、母の運転で少しドライブする事になったのです。
私が小学校5年生の時、男子が何かやらかすと必ず罰として裸にさせる女の先生(40代位)がいました。
その先生は私たちの担任で、今思うと強い女尊男卑思想の持ち主だったのかもしれません。
ある日、遅刻をして来た男女1名ずつがいて、女子の方は一時間目の授業中に教室の後ろに立たされましたが、男子の方はと言うと、なんと「パンツ一丁で教室の前に立ちなさい」と言われたのです。
当然男子は抗議しましたが、「男と女が同じ扱いな訳ないでしょう!」と一喝されてしまいました。
学校という場所で先生は絶対的な存在です、生徒である私たちが逆らえる訳がありません。
昔の話。
まだ19だった美容師見習いの頃、自分が勤めていた美容院が加盟していた組合の旅行があった。
旅行先は九州の温泉地で、大型バス一台の40人程の旅行で、自分の店のスタッフ以外ほとんど面識の無い他店の方々でした。
小六の時、お隣のお姉ちゃん(高校生くらいだったはず)の家に預けられた。
よく覚えてないが、何か用事で遅くなるからだったかな。
お姉ちゃんの親は母親しかおらず、しかも仕事で家に帰るのはいつも10時くらいだった。
1コ年上で高校時から他の人より大人びていた。身長も160ちょっとくらいあって、スレンダーなスタイル。顔立ちもはっきりしていて、モデルっぽい雰囲気もだしていた。
それでいて、飾らない性格で、よく笑い、ノリも良いため、男子にはもちろん、後輩女子からの人気も結構高かったのを覚えている。
俺との関係は、仲良くさせてもらってた先輩の友達でもあったので、その先輩を経由してではあったが、わりとよく遊んだりして仲もそこそこ良かった。
私が高専を卒業して就職、初めての配置先は故郷の県庁所在地を遠く離れた人口10万人の田舎の中心都市でした。
そこで借りたアパートのお隣さんが、淑子さんというおばさんでした。
当時私は20歳、当時54歳の淑子さんは母よりも7歳年上で、池波志乃さんに似た妖艶なおばさんでした。
嫁の母は40代後半、小柄でぽっちゃりだが胸は異常に大きく、今の時期セーターなど着ると、むしゃぶりつきたくなるくらい、エロい体つきだ。
嫁が痩せているせいか義母の胸には、ある種の憧れを抱きながらも婿として、家族交際をしてきた。
ところがある時、嫁実家のリフォームを巡り業者とトラブル、訴訟を起こす騒動となった。
最初は酔った勢いで始めたミツコさんの悪戯だったのに、終わった頃にはすっかり素面でした。
そんな初体験が出来た僕は、相手がおばさんだったとは言え幸せでした。
ちなみにそのときカオルさんは41歳、ミツコさんは43歳でした。
その日はカオルさんの家に僕だけが泊まり、ミツコさんは旦那さんがいるので22時ぐらいになって「カオちゃんだけ今夜も楽しめるのはズルイな~」とか言いながらも渋々自分の家に帰って行きました。
僕は25歳になった今でも若い女にはあまり興味がわきません。
いわゆる「老け専」ってやつです。
それは初めての相手が熟女だったからです。
母親の友人だった女性に小学生の頃から可愛がられていました。
その女性(カオルさん)はバツ1で子供もいないため僕を自分の子供のように思っていたようです。
筆卸しの翌日、たまたま本物の母から電話があった。
別に急用でもなく、「ちゃんとご飯食べてる?」とかそういう内容だったんだが、声を聞いてたらなぜか勃起。
電話を切ってから、罪悪感で死ぬほど落ち込んだ。
しかし、オナニー覚えたての餓鬼が猿みたいにシゴきまくるように、SMやスカトロにハマった奴が強い刺激を求めどんどん過激になるように、エロ系の欲望って歯止めを失っちゃうんだよな。
大学に入ってすぐ、童貞のくせに熟女風俗にハマった。
俺、高校まで男子校だったんだが、卒業した先輩から「人妻風俗はいいぞ~」と聞かされてて、『合格して独り暮らしを始めたら絶対行く!』と決めてたんだ。
先輩が愛用してたのは熟女デリヘル。
ただ、下宿に呼ぶのはなんか怖かったから、俺は最初、外で待ち合わせてラブホテルへ行くタイプのにした。
一通りご馳走になって後片付けをしてもらってる間にこちらは次の用意を始めた。
以前、友達の兄ちゃん(唐沢似なので以後唐沢)
にオリジナルカクテルを作って口説き落とす話を聞いていた。
唐沢曰く、「やっぱり緊張をほぐすには酒が一番やねん」らしいw
「オリジナルカクテルゆ~ても簡単やで」
「何でもええからウォッカ買ってきて、
オレンジ絞ったんで割ったらそれがもうスクリュードライバーやからな」
「コツは生オレンジをその場で絞るねん。
味も美味いし、何よりわざわざ作ってくれてる感が凄く出るからな。
ちなみに俺は一割ぐらいソーダも入れるけどな」
今からもう20年以上前の話です。
当時パチスロ(1.5号機)が流行り出した頃で、
土曜日の午後は友人達と大阪のナンバでよく遊んでた。
ちなみに当時の俺は勿論童貞で170cm、53kgぐらい。
姉と兄がいて、顔はフツメン。
昔から今も男女問わず年上ウケは良いほう。
美緒さんとの関係は、一気に変わってしまった。ただの家庭教師先のお母さん……それが、今では訪問する度に、キスしたり口でしてもらうようになってしまった。
旦那さんや悠真君に対して、罪悪感を感じる。やってはいけないことだったなという、反省もある。でも、一度経験してしまった事に対して、今さら止めることも出来ずにいる。
今日も、悠真君を教えている。でも、やっぱり出来が良いのでほとんど教えることはない。課題を与え、それを彼が解き、僕が採点して補足をする程度だ。
今も、悠真君は現国の長文を読み込んでいる。僕は、トイレに行くと言って彼の部屋を出た。そして、すぐにリビングに行くと、すでに美緒さんが待っていてくれた。
俺は雄一、22歳の大学生。
叔母の言いなりになってから丸6年になる。
この生活が始まったのは俺が高1、中堅商社に勤めていた父親が母親を連れて北欧に転勤した時だった。
俺は当然単身赴任するものと思っていたが、父親の前任者が単身赴任で現地の女性とトラブったとかで、会社から夫婦で行くように言われたらしい。
俺はこの頃父親と折り合いが悪く、また、有名進学校に入ったばかりだったので残ることにした。
一人暮らし希望だったが、こっちに残る条件が叔母(母の妹)のところに預けられることだった。
昔、バイトしていた職場はパートのおばさんばかりのところだった。
職場では俺は田所という19歳の奴とだいたい一緒に行動していたな。
年齢近かったし、気があった。ちなみに俺は奴より2つ上の21。
僕の母とリカちゃんの母は仲良くて、僕とリカちゃんが同級生ということもあり
家族ぐるみで中学生のとき、よくお食事したり旅行で留守のときは気にかけたりしているくらい仲良くしてました。
ある日、リカちゃんの母から電話がかかってきました。
家には、僕1人だったので、電話に出ました。
『もしもし、ゴウくん?』
『はい、そうです。リカちゃんのお母さんですね。』
僕の名前はS。
高校を卒業して専門学校に通ってます。
高校時代に起きたエッチな出来事を少しだけ話そうと思います。
高校時代、僕は卓球部だった。
あまり強くはなかったけど、ほどほどに頑張っていたと思う。
卓球部にはT(仮名)という中学の頃から仲が良かった友達もいた。
中学の時から部活終わりにTの家で遊んでから帰るのが僕たちの日課だった。