幼少からMの気がある男です。
小学生の時に、川原でSM本を見つけて拍車がかかりました。
とくにぶたれることへの興味は大きく、中学になったころ英語の辞書で【スパンキング】という単語を知り
そこに「(罰として、子供の)尻を叩くこと」と書かれていました
こんな単語があるほど海外では一般的なのかと感動すら覚えたのですが、同時に悔しさもありました
どうして自分はそういった国の子供に産まれなかったのか
スパンキングへの強い憧れが捨てられず、僕はある行動に出てしまいます
英語の授業は、海外からメアリー先生という外国人教師を招いて行っていました。
その先生が帰国するまでの期間に、必ずひとつ英語で質問をするようにと課題が言い渡されていました。
先に質問をしてくれた子のおかげで、先生には子供がふたりいることがわかっていたのです。
僕は思いきって、怒ってお尻を叩いたことがあるかどうか聞いてみようと思ったのです。
ただ授業中に聞くのはどうかと思い、質問の答えを記入するプリントを持って昼休みに先生のところへ行くと
『う~ん、放課後でもいいかしら?』
と職員室を出たところで追い返されてしまいました。
僕の頭に、悪い考えがよぎります。
『お尻を叩いたことがありますか?』なんて普通は質問しないし、他の先生に相談されたらどうしよう・・・。
放課後になって、言われた通りに廊下で待っていると、メアリー先生がはなぜか特別教室のカギを持っていました。
不安を覚えつつ後をついていくと、案の定『どうして【スパンキング】なんて単語を知っていたの?』と聞かれてしまったのです。
僕の質問の内容はともかく、普通の中学生がそんな単語を知っているはずがありません。
ところが言い訳を考えていると、先生のほうから『隠さなくていい、興味があるのね?』と迫ってきたのです。
僕は思わず「はい」と答えてしまいました。
すると、先生はカウンセラーのように『そうなのね、私の国でも時々いるの』と優しく相談に乗ってくれただけでなく、子供への【スパンキング】について教えてくれました。
彼女は、自分の子供がそういった性癖を持たないよう気をつけていて、先生によれば、それなりに痛くないと子供が快楽だと錯覚してしまうことがあるそうです。
あざが残ったり、皮がむけたりというのはやりすぎとしても、可愛いから、泣くからと手加減しすぎるのも愛がないと話していました。
そして、先生は子供の話を終えると、僕に『あなたがよければ叩いてあげるわよ?』と言ってきたのです。
僕はそれまで親にも叩かれた経験がなく、先生にそのことを話すと、実際に痛い思いをすれば興味がなくなるかもしれないとのことでした。
メアリー先生の太モモにお腹をのせ、学生服のお尻をキュッと上げると、パシィンといい音がして全身がふるえるような痛みが走りました。
股間にも熱いものが流れてきているのがわかり、このままでは射精してしまいそうだったので目で訴えてみると、先生が『元気な男のコだし仕方ないわ、脱ぎなさい』とズボンを脱ぐよう言います。
言われた通りにすると、両手で優しく包み込むように股間に触れてきて、右手の指でこすり上げるように刺激されると、中学生だった僕はすぐに射精してしまいました。
それをきれいに拭き取ったあと、先生がまた太モモに乗るように言ってきます。
ズボンを穿き直すことは許してくれず『今度はもっと痛いわよ』とお尻を直にぶたれることになったのです。
先生の太モモに戻ると、僕の股間はたった今射精したばかりだというのに、早くも勃起していました。
それを見た先生は『【スパンキング】が終わるまで我慢しなさいね』と構わず僕のお尻をパァンパァンと叩き始め、しばらくすると先生の太モモで二度目の射精をしてしまいました。
二度目なのでさほどの量ではありませんでしたが、汚してしまったことを気にしていると
『問題ないわ、でも【スパンキング】はそう簡単に終わらないわよ』
とそのまま叩き続けるのです。
三十分ほどは叩かれ続けたでしょうか。
最初は本当に気持ちよかったのですが、十分もしないうちに「痛い」が勝り、そこからずっと痛すぎてはぁはぁ息を荒げるほど泣いてしまいました。
先生は、過度な痛みを与えることで僕の性癖が改善されるかもしれないと考えたそうで、子供にもここまでしたことはないと言いながら、すっかり腫れあがった僕のお尻をもうひとつバチッと叩きました。
ズボンを穿き直す間、泣いてしゃくりあげる自分が本当に情けなくて、もう【スパンキング】は懲り懲りだと思っていたのですが、メアリー先生が帰国し、もう叩いてもらえないのかと思うとやはり恋しいのです。
大人になった今でも、あのひと時を超える快感はありませんでした。
もし生まれ変われるなら、メアリー先生の子供として産まれてきたいとさえ思っています。