大学に入ってすぐ、童貞のくせに熟女風俗にハマった。
俺、高校まで男子校だったんだが、卒業した先輩から「人妻風俗はいいぞ~」と聞かされてて、『合格して独り暮らしを始めたら絶対行く!』と決めてたんだ。
先輩が愛用してたのは熟女デリヘル。
ただ、下宿に呼ぶのはなんか怖かったから、俺は最初、外で待ち合わせてラブホテルへ行くタイプのにした。
大学に入ってすぐ、童貞のくせに熟女風俗にハマった。
俺、高校まで男子校だったんだが、卒業した先輩から「人妻風俗はいいぞ~」と聞かされてて、『合格して独り暮らしを始めたら絶対行く!』と決めてたんだ。
先輩が愛用してたのは熟女デリヘル。
ただ、下宿に呼ぶのはなんか怖かったから、俺は最初、外で待ち合わせてラブホテルへ行くタイプのにした。
一通りご馳走になって後片付けをしてもらってる間にこちらは次の用意を始めた。
以前、友達の兄ちゃん(唐沢似なので以後唐沢)
にオリジナルカクテルを作って口説き落とす話を聞いていた。
唐沢曰く、「やっぱり緊張をほぐすには酒が一番やねん」らしいw
「オリジナルカクテルゆ~ても簡単やで」
「何でもええからウォッカ買ってきて、
オレンジ絞ったんで割ったらそれがもうスクリュードライバーやからな」
「コツは生オレンジをその場で絞るねん。
味も美味いし、何よりわざわざ作ってくれてる感が凄く出るからな。
ちなみに俺は一割ぐらいソーダも入れるけどな」
今からもう20年以上前の話です。
当時パチスロ(1.5号機)が流行り出した頃で、
土曜日の午後は友人達と大阪のナンバでよく遊んでた。
ちなみに当時の俺は勿論童貞で170cm、53kgぐらい。
姉と兄がいて、顔はフツメン。
昔から今も男女問わず年上ウケは良いほう。
10年前まで、僕は風俗以外での経験はなかったが、それがおばさんのおかげで卒業できた。
花火大会に新調した浴衣を着て、あわよくば高校時代の同級生や近所の女の子を物色していた。
しかしカップルばかり、一人でいる女の子はまずいなかった。
会社の創立記念パーティーで逆ナンを頂戴した。
パーティーに来てたのは、うちの会社の幹部クラスやOBや取引先のお偉い人達ばかり。
ペーペーの平平、しかも新人社員だったオレは受付その他の雑用係として招集された。
高校時代に放送部だった俺は土曜の午後、誰も居ない視聴覚準備室でK先輩(♂)に命令された洋物の裏ビデオをダビングしていた。
もちろん外部にばれない様にドアに鍵を掛け、暗幕を引いて誰も居ないように見せかけて。
1時間のテープを2本ダビングした頃、ドアを誰かがノックした。
顧問の先生には視聴覚室を使う事を言っていたから、先生だとヤバいので慌ててモニターを消し、暗幕を開けてドアの窓ガラスを覗いた。
そこに居たのは顧問でも先輩でもなく、バンド部のS先輩(♀)だった。
私は大学の4年間、親元を離れての生活費を賄うために、ある女性の愛人をしていました。
私より27歳年上のその女性は、私の若い下半身を徹底的に楽しみました。
生きた淫具としてだけでなく、私のお尻の穴を悪戯して辱めたりもしました。
美緒さんとの関係は、一気に変わってしまった。ただの家庭教師先のお母さん……それが、今では訪問する度に、キスしたり口でしてもらうようになってしまった。
旦那さんや悠真君に対して、罪悪感を感じる。やってはいけないことだったなという、反省もある。でも、一度経験してしまった事に対して、今さら止めることも出来ずにいる。
今日も、悠真君を教えている。でも、やっぱり出来が良いのでほとんど教えることはない。課題を与え、それを彼が解き、僕が採点して補足をする程度だ。
今も、悠真君は現国の長文を読み込んでいる。僕は、トイレに行くと言って彼の部屋を出た。そして、すぐにリビングに行くと、すでに美緒さんが待っていてくれた。
俺は雄一、22歳の大学生。
叔母の言いなりになってから丸6年になる。
この生活が始まったのは俺が高1、中堅商社に勤めていた父親が母親を連れて北欧に転勤した時だった。
俺は当然単身赴任するものと思っていたが、父親の前任者が単身赴任で現地の女性とトラブったとかで、会社から夫婦で行くように言われたらしい。
俺はこの頃父親と折り合いが悪く、また、有名進学校に入ったばかりだったので残ることにした。
一人暮らし希望だったが、こっちに残る条件が叔母(母の妹)のところに預けられることだった。
昔、バイトしていた職場はパートのおばさんばかりのところだった。
職場では俺は田所という19歳の奴とだいたい一緒に行動していたな。
年齢近かったし、気があった。ちなみに俺は奴より2つ上の21。
僕の母とリカちゃんの母は仲良くて、僕とリカちゃんが同級生ということもあり
家族ぐるみで中学生のとき、よくお食事したり旅行で留守のときは気にかけたりしているくらい仲良くしてました。
ある日、リカちゃんの母から電話がかかってきました。
家には、僕1人だったので、電話に出ました。
『もしもし、ゴウくん?』
『はい、そうです。リカちゃんのお母さんですね。』
僕の名前はS。
高校を卒業して専門学校に通ってます。
高校時代に起きたエッチな出来事を少しだけ話そうと思います。
高校時代、僕は卓球部だった。
あまり強くはなかったけど、ほどほどに頑張っていたと思う。
卓球部にはT(仮名)という中学の頃から仲が良かった友達もいた。
中学の時から部活終わりにTの家で遊んでから帰るのが僕たちの日課だった。
話は20年前のこと。
俺は県立高校の2年生で、その時に音楽を担当していたK先生と関係を持った。
K先生は当時30代半ばで離婚していた。
10年くらい前に、新卒で入社した俺らの歓迎会で、30歳の子持ちバツイチ巨乳事務員(まさこ(仮))が、「子供を実家に預けてきたから、今日は最後まで飲むよ!」とか言ってノリノリ。
俺もノリで「メガネとった顔も見たいっすー。可愛いっすよね!」とか褒めちゃったら「お前コマしだなw」とか絡まれた。
3次会辺りでまさこはトイレでゲロ。
課長に「お前まさこの係なw」とか言われたんでトイレに付き添って背中とかさすった。
中学の3年間はバスケット部に所属していた。
1年生の時、そこそこ身長もあり上手い方だったので、よく女子部の3年生の練習相手をさせられ、練習試合をした。
男子とはいえ、1年生に負ける訳にはいかない、と3年女子部の先輩達は結構本気モードだった。こちらも本気モードになるとそこそこいい試合になった。
大学での就職活動がひと段落したため、僕は4年生の夏休みの時期を使って地元に帰省をしていました。実家には両親と、年の離れた兄夫婦が住んでいました。久しぶりの帰省でしたので、地元の友達や小学生の甥っ子のKと毎日遊んですごしていました。
俺のチェリーボーイを貰ってくれた姉の友達の薫さんとの体験談。
俺は校2の三学期から予備校に通ってたんだけど、高3の夏期講習にその予備校にバイトで薫さんがいたのにはビックリした。どうも就職内定した薫さんが暇つぶしに確信犯的に来たみたいだった。
私が20代前半のころの話です。
当時私は大学生だったのですが、将来自分で事業を行ってみたいと考えており、そのために簿記の勉強をすることを決め、資格スクールに通うことにしました。
私の通っていたスクールは就職支援も同時に行うようなところでしたので、専業主婦から就職を目指す方や、社会復帰を目指す方などさまざまな層の人が集まっていたのですが、簿記のクラスは比較的30~40代女性が多いクラスでした。