いつかは自然に剥けるだろうと思っていましたけど、中学になっても剥けませんでした。
それでも気にしないでいましたが、中一の夏にその事件はおきました。
夏休みのプールの時間がありましたが、それには毎日通っていました。
泳ぎはあまり得意ではありませんでしたので少しでも上手くなろうと通っていたんです。
いつかは自然に剥けるだろうと思っていましたけど、中学になっても剥けませんでした。
それでも気にしないでいましたが、中一の夏にその事件はおきました。
夏休みのプールの時間がありましたが、それには毎日通っていました。
泳ぎはあまり得意ではありませんでしたので少しでも上手くなろうと通っていたんです。
僕の母さんは、人妻専門のデリヘルで働いています。
自分の小遣い欲しさに働いている為、父さんも姉さんもこの事は知りません。
故に仕事も平日の昼間だけです。
源氏名は恭子。
年齢は45歳なのに、35歳と10歳も歳を偽っています。
隣の奥さんはとってもきれい、俺の母と比べると、比べるのが失礼なくらいきれいな人です。
引越ししてきて数ヶ月、一目見たときからトキメキを覚え、やりたいと思いました。
大学に行くときに玄関先で会うのがとても楽しみでした。というのも、ノーブラの胸チラが拝める時があるから。
子供がまだ小さい専業主婦だと思います。奥さんのことを思いながら何度センズリこいたか。
高一の時の話。
ウチの高校は美術と音楽が選択できて、俺は絵が得意だったから美術を選んだ。
そこで出会ったのが、有紀先生だった。
有紀先生は29歳のスレンダー美人。胸は小さめ(BかCかな?)くらい。
幼少からMの気がある男です。
小学生の時に、川原でSM本を見つけて拍車がかかりました。
とくにぶたれることへの興味は大きく、中学になったころ英語の辞書で【スパンキング】という単語を知り
そこに「(罰として、子供の)尻を叩くこと」と書かれていました
私は27歳のサラリーマンです。
今年の春の出来事です。
8歳年上の事務の香織さんと金曜の夜にオフィスで二人きりになりました。
私は営業先から帰社が遅くなり残務整理で、香織さんは部長に頼まれた入力業務でした。
流れでご飯に行きました。
中学の時、家が貧乏だったので、朝と夕方の新聞配達してました。
中学生は朝刊と夕刊のアルバイトは禁止らしく、別々の販売店でバイトしてたんですが、当然授業中は眠い日もあり、ある日国語の時間に寝てしまいました。
国語の先生は、赴任して2年目の川村よしえ先生で、僕らの担任も受け持ち、若く綺麗で長い黒髪のおかげもあったようで生徒の間では大人気でした。
寝てしまった国語の時間は5時間目ということもあり、放課後職員室に来るよう言われ、下校前によしえ先生の所に行きお説教されてしまいました。
中学の時 家が貧乏だったので 朝と夕方の新聞配達してました。
中学生は朝刊と夕刊のアルバイトは禁止らしく 別々の販売店でバイトしてたんですが当然授業中は眠い日もあり ある日国語の時間に寝てしまいました。
オレには2つ年上の兄がいて、別にべったりくっついてるわけでもなければ、嫌いあってるわけでもない。
まあ、どこにでもいる普通の兄弟だ。
兄は小顔で河相我聞を少し切れ目にして口を小さくした感じ。
中高と体操をやっていたので体も引き締まっておりよくもてるタイプだった。
初体験は21の時。まだ大学生だった。相手はアルバイト先の事務員で、杏子さんと言った。
彼女は当時、30代後半、バツイチで一人の子持ちだった。飲み会の後、酒に酔った勢いで、と言うか酒で思考が緩くなり、流れに任せ、彼女の半ば強引な誘いに乗ってしまったわけだ。ただ俺自身、彼女は魅力的な女性だなってずっと思っていた。
恋愛感情ってのとは違うとは思うが、最初に会った時から、ある種の憧れみたいなのはあった。
19歳の時、アパートに住んでいた。
隣人は、バツイチ子持ちの三十路熟女が住んでいた。
名前はアケミ。
当時学生だったオレが夏休みで部屋でゴロゴロしてると、激しく玄関を叩く音と子供の泣き叫ぶ声が。
急いで玄関を開けると隣の子供が真っ青な顔して、「お母さんが倒れた!助けてお兄ちゃん!」と泣きながら訴えてきた。
隣の部屋に見に行くとアケミが台所で倒れていた。
とりあえず救急車を呼び、病院に子供を連れて同伴した。
子供に他に知り合いがいないか聞いたが「知らない」と言われ、仕方なしに先生の話を聞かされた。
地元のパチンコ屋に良くいくんだが、そのパチンコ店で良く見かける常連の熟女がいた。
そのパチンコ大好きの熟女はセクシーで、いつも胸元があいた洋服を着ていて胸チラしているので、おっぱいの谷間を拝ませてもらっていた。それに、細身で髪は長くて美熟女系だったので興味があった。
九州の大都市に長期出張してた時の話。
その頃はめちゃくちゃ多忙を極め、連日連夜、深夜帰宅の毎日だった。
ついに手詰まりの状況となり、工場の現場サイドとの直談判。それが残された最後の手段。
進捗状況をチェックする為、現場に張り付く事に。
同居している義母とHな関係になりました。
私は28歳のサラリーマンです。妻は25歳で、社内恋愛で昨年の3月に結婚しました。
義母は47歳ですが、見た目は40くらいです。同居するまでは、義母は同じ市内の一戸建て、私たち夫婦はアパートに暮らしていました。
今年1月に義父が交通事故で亡くなったので、私たち夫婦が一戸建ての方に移ることになりました。
義父は私にすごく親切にしてくれていたので、亡くなったのはすごくショックでしたが、初めて会ったときから憧れていた義母と同居することになり、嬉しくなりました。
家出した理由はそれなりに家庭の事情だった
両親不仲で毎日喧嘩してて嫌になって家飛び出した
十五歳だった
都内のお店で大学時代の友人3人とプチ同窓会を行っていました。
そこで偶然高校時代の先輩(女子)に遭遇。
あっちも4人、隣の席を確保してプチコンパの開始です。
相手は、俺の先輩、その会社の同僚(超美人3人、残りクリーチャー)、男の1人は既婚者。
俺は彼女持ちなので友人二人へパス出しまくり。
クリーチャーの相手をしていたら、この子がめちゃ面白い子。
さらにサッカーを見るのが趣味で、俺もだったのでずっと盛り上がってました。
大学4年の時、暇過ぎて家庭教師のバイトを始めた。
教えてたのは中学2年生の男の子で、これがまたデキの悪い子だった。
大学にあった家庭教師募集の貼り紙を見て電話したんだけど、決め手はお母さんの美人さだった。
マジで美人で、息子が言うには33歳って言ってた。
でもどう見ても20代半ばって見た目で、なんつーか妖艶さと可愛らしさが混同した印象だった。
オレは今23歳。オレには母がいない。小さい頃から。そんなオレを母代わりとしてかわいがってくれたのは、近所のなんでもないオバさんだった。
父は遅くまで仕事なので、そのオバさんは自分の家族とオレを交えて夕食を食べさせてくれたり、洗濯もやってくれた。ほんと、母代わりとして、いや母以上に勤めてくれた。